旧宮家復帰案と後桜町天皇

皇室関連の話題が騒がしいので、まだまだ書きます。
国会の方では旧宮家の方々を養子として迎える方向でまとまっているようです。

女性天皇派の方々はこの案に難色を示している方が多い気がします。敬宮殿下を皇嗣としたい方々ですからね。まぁ、それは置いてといて。
彼らが養子案に反対する理由は「現皇室との血縁関係が遠いから」だそうです。男系で遡ると、現皇室との共通祖先は室町時代中期の皇族である伏見宮貞成親王。そこから現代の旧宮家の方々は男系で十数世孫といったところでしょうか。(若い方なら20代以上の代数を超えている方も居るかもしれません)
皇室史上、最も傍系で即位したのが継体天皇で、継体天皇は応神天皇の5世孫なので旧宮家は継体天皇以上に血縁関係が離れていることになります。
ですが、男系でいくら皇統と離れていようが問題視されないのが皇室なのです。
後桃園天皇崩御の際のこんなエピソードがあります。


後桃園天皇が崩御された際、子供が欣子内親王お一人しかおられず、跡継ぎを世襲親王家(※皇室の血筋が絶えないように創設された皇室の分家のようなもの)から選ぶ事になりました。
当時の公家たちは欣子内親王を新帝の中宮とすることには一致したものの、皇嗣を誰にするかで揉めたのです。
後桜町上皇は伏見宮家より、関白の九条尚実は閑院宮家よりを皇嗣迎え入れようとしたのですが、結局皇嗣は閑院宮家の師仁王となり後桜町上皇の意思は叶いませんでした。

後桜町上皇の願いは叶わなかったものの、このエピソードからも分かるように血縁関係の薄さは問題視されませんでした。というか、伏見宮家の親王は歴代天皇の猶子(※相続関係を伴わない養子の一種)となって皇女を娶っていました。
旧宮家の方々の中には昭和天皇の血が入ってる方もおられます。皇族ではなくなっても血縁関係は全然近いのが旧宮家。その方々を令和の皇室に迎え入れない選択肢はないでしょう。

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